ニュース&コラム

ターミナルケアの目的とは終末期ケアにおいて、家族と支援者は何を目指すべきか

2016年04月15日
ターミナルケアの目的とは

はじめに

終末期におけるケアでは、ケアの「目的」となるものが見えにくい。

通常医療であれば「治癒」や「寛解」といったわかりやすい目標がありますが、ターミナルケアにおいては患者が治癒・寛解を成し遂げることは(その前提から)極めて難しい。このような事情から、ともすると支援者はケアの「目的」を見失いがちになってしまいます。

では、ターミナルケアにおける目的とはなんなのでしょうか。
私たち支援者は何を目指すべきなのでしょう。

本稿では、ターミナルケアを専門とする複数の専門家の言葉を手掛かりに、ターミナルケアの目的とその意義を探ります。

 

 

痛みを取り除く

がんなどの進行性腫瘍の終末期においては、患者は強い痛みを経験します。これらの痛みを取り除くことは、ターミナルケアにおける重要な目的のひとつです。


病気の痛みを緩和させることの意義は、単に患者が身体的に楽になるだけではありません。


立正佼成会付属佼成病院の林茂一郎院長は、痛みなどの身体症状は患者の生きる意欲や、日常生活そのものにも深く関わってくると著書の中で述べています。※1 


【林茂一郎医師 出典:林医師の挑戦 -人生の最期に必用な医療とは-】


【林茂一郎氏 / 出典:林医師の挑戦 -人生の最期に必用な医療とは-】


林氏によれば、末期がんなどで痛みが強くなると、少なくない患者が「死にたい」「もう生きていたくない」などと希死念慮を募らせてしまうと言います。治癒の見込みがないまま苦痛だけが続くと、人生そのものに対しても悲観的になってしまうのでしょう。


また痛みが原因で不眠症なども発生し、これも生活を困難にします。
がんの痛みによる不眠に対抗できるような大量の睡眠薬を処方されると、日中も眠気がとれず、起きている間の覚醒度も下がってしまう。すると、食事や会話などのあらゆる人間的活動が難しくなってしまうのです。


つまり「痛み」とは単に苦しくつらい感覚であるばかりか、患者から生きる意欲を喪失させ、さらには人間らしい生活すら奪ってしまうというのです。


故に、ターミナルケアにおけるペインケアの重要度は極めて高いと言えるでしょう。


精神的・社会的援助、人としての尊厳の尊重、QOLの追及などは、すべて「痛みを取る」ことから始まるのです。


 


 

生活を支える

 在宅医療の専門家で医師の荒井康之氏は
『看取りとは目的ではなく、”最後までその人らしくあること”を支援し続けた到達点にある』
と述べています。※2 


終末期の患者にも生活があり、望みがあり、残された時間の中で成し遂げたいことがある。
そうした患者個々人の生活や望みをできる限り叶えることは、ターミナルケアにおいて重要な役割を持つ、と氏は指摘します。


ともすると忘れがちな事実ですが、終末期の患者だけではなく、我々生きる人間はすべからずいつか死ぬことが定められています。


終末期患者の余命は確かに数か月しかないかもしれませんが、健康な人間だって、余命があとどのくらいあるのかわかりません。余命30年の人もいれば、3年の人もいるだろうし、もしかすると3日後には不慮の事故で死んでしまうのかもしれない。


であるならば、余命が3ヶ月しかないということは、生きること──生活すること──を放擲する理由にはなりません。余命が30年だろうと、3ヶ月だろうと、3日だろうと、残された時間を精一杯生きることには価値があるだろうし、その生活を支えることにも大いに価値はあります。


残された時間で充実した生活を送った患者たちの様々なエピソードを、ターミナルケアに関わる治療者たちは多く報告しています。


医師の長尾和宏氏はがん末期にヨーロッパ旅行を敢行した夫婦や、親子で温泉旅行を楽しんだ方、経営するカラオケボックスにベットに運び込み最後まで経営を続けた事例などを著書の中で紹介しています。※3 



「旅行に行きたい」「最期までお店を切り盛りしたい」そんな患者の強い意志と支える支援者の助力が、このような充実した最期に結び付いたのでしょう。


「たとえ人生の99%が不幸であったとしても、最期の1%が幸せならば、その人の人生は幸せなものに変わる」


これは最初期のホスピスのひとつ「死を待つ人々の家」を運営したマザー・テレサの言葉です。残された時間を認識するからこそ、人は残りの人生を濃密に過ごせるのかもしれません。


残された時間が僅かでも、患者の生活を支えることには大きな意味がある。多くの支援者がそう考えています。


 


 

心に寄り添う

人生の終わりにさしかかったと感じたとき、人の心にはさまざまな思いが浮かびます。


「自分の人生には意味があったのだろうか」「死んだ後、自分はどうなるんだろうか」といった実存に対する悩みをはじめ、「自分がいなくあったあと息子や娘は大丈夫だろうか」「遺産でもめないだろうか」といった残された者に対する不安もあります。


また老いと病から来る身体の衰えも、心を苛みます。
緩和ケア専門医の新城拓也氏は、失禁や転倒などを契機に自分の肉体の衰えを認識した患者が急速に生きる力を失ってしまった事例について報告しています。※4 


「動けない身体で生きていても仕方がない。死なせてくれ」
「どうせ死ぬなら、早く楽にしていくれ」


このような声を患者から聞かされることもあると言います。



このように、終末期において患者は心の痛み、魂の痛みを抱えがちです。最期の時間を充実したものにするためにも、このような痛みに対処することは患者にとって、また支援者にとっても大きな意味を持ちます。


支援者の立場から、このような患者の苦しみに対応するためには、どのような手段があるでしょうか。


まずはじめに考えられるのは、専門家を頼ることです。
終末期における心と魂の痛みは、実は緩和ケアのおいて対応すべき対象として既に位置づけられています。


終末期の心の問題において支援者がすべてを抱え込むことは、ともすると「二重遭難」のような状況を生みかねません。医師や看護師、臨床宗教師などのサポートを得つつ、チームで問題に取り組むのが適切な支援の大前提です。


専門家のサポートを得た上で、支援者には何ができるか。
「傾聴」と「共感」が重要であると、多くの専門家が共通して推奨しています。


終末期において、安易な励ましは意味を持ちません。
『死を前にした人をどんなに励ましても、本人にも支援者にも虚しさが残るだけ』
とは看護支援専門員の柴田久美子氏の言葉です。※5 


患者は肉体の衰えと病の進行を他の誰よりも肌で感じ取っています。そんな状態で上っ面の励ましの言葉を聞かされても、決して良い気持ちにはなれないのでしょう。


言葉を尽くして励ますのではなく、無言でも良いので患者の傍に寄り添う。患者が言葉を発したら、真剣に傾聴し、共感を示す。それだけでよいと柴田氏は言います。



前述の新城拓也医師は


「患者の苦悩を『解決』しようとしてはならない」


と指摘します。


「患者の苦悩は、彼ら自身の大事な人生の課題だ。彼らの課題を奪うことなく、じっくりと苦悩し課題に取り組むことができる環境をさりげなく整えることが、医療者にできることなのだ」と氏は述べています ※6


健康な支援者は、時として他人の人生に不当に干渉しすぎてしまうということでしょう。また苦悩する患者を前に「この人の苦しみを自分がなんとかしなければ」と個人的な責任を感じてしまうという側面もあると思います。


しかし、結局のところ人生と死を受容できるのは、支援者ではなく患者本人なのです。


自分たちの限界を見極めつつ、しかし傾聴と共感を保ちながら、患者の心に寄り添っていく。ターミナルケアにおいて、これが支援者に可能な最大限の支援なのかもしれません。


 


 

まとめ

ターミナルケアの目的は、大別すれば


・患者の苦しみを取り除くこと
・患者が残された人生を自分らしく全うするためのお手伝いすること


このふたつにある、というのが本稿の結論です。


通常の医療とは違い、ターミナルケアにおいてはなかなか「正解」が見えません。
しかし「正解」がないのは人生もまた同じです。ターミナルケアが人生の総決算である以上、安易な正解の方程式が見つからないのも仕方ないと言うべきなのかもしれません。


家族・支援者の方におかれましては、よいお看取りが成し遂げられますことを、心よりお祈りしております。



※1「宗教と終末医療」P26
※2「月間ケアマネージャー」2015年10月号P19
※3「家族が選んだ「平穏死」 看取った家族だけが知っている本当の「幸せな逝き方」」P56
※4「こころの科学186号 「死にたい」に現場で向き合う」P27
※5「幸せな旅立ちを約束します 看取り士」P70
※6「こころの科学186号 「死にたい」に現場で向き合う」P29

黄金のおりん
用語タグ ターミナルケア
この記事を読んで良かったですか?
良かった 良かった

5

ターミナルケアの目的とは

この記事が気に入ったら「いいね!」しよう

ターミナルケアの目的とは

ターミナルケアの目的とは

この記事が気に入ったら「いいね!」しよう

ターミナルケアの目的とは

大切なひとと考える『これからハンドブック』

pagetop