医療・介護から看取りを支える人たちのインタビュー ”ひと”

インタビュー“ひと”
看取りに取り組むフロントランナーたち - Human Inteview -

「シームレスな社会参加」で豊かな終末期を支援…大田区「みま~も」の地域包括支援センターの枠を超えた取り組み(1)

Profile

さわやかサポート入新井
澤登  久雄施設長

社会福祉士、介護支援専門員、介護福祉士。 おおた高齢者見守りネットワーク発起人。

はじめに

『下級老人』『看取り難民』……。暗い老後を感じさせる言葉を耳にすることが多い昨今、われわれが豊かな老後、そして終末期を迎えるために何をすべきなのか。

 

2006年の介護保険制度の改正によって「地域住民の心身の健康の保持及び生活の安定」をうたう地域包括支援センターが設置された。65歳以上の高齢者の総合相談窓口として、現在全国の自治体で4000ヵ所を超える地域包括支援センターがある。

 

大田区にある「さわやかサポート入新井」(社会医療法人財団 仁医会 牧田総合病院、澤登久雄センター長)は、そんな地域包括支援センターのひとつとして、そしてその「枠」を超え、さまざまな試みを行い日々精力的に活動している。

「豊かな終末期には『シームレスなつながり』が欠かせない」と話す澤登センター長に話をきいた。

節目節目で訪れる「孤独への落とし穴」

近隣にある商店街の入り口

――在宅療養や在宅看取りでの「豊かな終末期」を実現するためにわれわれがしておくべきことをどうお考えでしょうか?

 

今までは、自分自身が亡くなっても親族や家族がいらっしゃった。「あとは任せるよ」としてもどうにかなった時代ですよね。それが今、急速な高齢化や一人暮らし世帯等家族構成の変化の中で、今までのように、「あとは任せたよ」と言いたくてもその任せられる人がいらっしゃらない。

 

今「終活」という言葉がある意味流行り言葉みたいになっていますけれども、でも実際には医療や介護が現実に必要になったときにしか本当には考えないですよね。普通は。

 

医療や介護が必要になった時に、「さあどうしよう」と考えるといっても、医療や介護が必要になるのって突然じゃないですか。

僕自身が病院の中で働いてもいるのにそうなのですけど、もうそうなったら最後、結局、そこから考えるゆとりなんてないんですよね。ベルトコンベアーの流れに乗っていくようなもの。たとえば、「入院をしました。」「まずは治療」そして治療がまだ終わっていないあたりから「次の行き場を探してください」とか、そういうことが始まるわけですよ。

結局、「どうしようどうしよう」というなかで進んでいくしかない。

 

じゃあ、本当の意味で自分自身が選ぶ在宅療養や在宅看取り、自分自身の最期、と考えたときに、「やっぱり元気な時から考えておくべきことなのではないかな」というのは一つ言えると思います。ただ、やっぱり難しいですよね。

 

そこで大切になるのが「シームレスなつながり」になると思います。

とにかく人とのつながりを最後まで保っておくことが僕は重要だと思っています。たとえば地域とのつながり、あとは医療機関とのつながりとか。そのために自分自身でできることは、つながりをつくるために社会参加をすることだと思うのです。

 

 

 

――高齢者では難しそうですが。

 

おっしゃるとおり、人が生まれてから死ぬまでのサイクルの中で、特に65歳以降は、切れ目なく社会参加し続けるように生きていくって大変なことだと思うんです。

 

必ず節目節目の中でそういうつながりが消えてしまう時期ってあるんですよ。

一つは退職時期ですよね。特に男性。それまでは職場でのつながりはあるんですよ。でも退職したらそれはだいたい切れてしまう。特に企業戦士ほど、大きな孤立する要因になりますよね。

 

次に訪れる落とし穴が、加齢に伴う外出しやすい距離が短くなることです。退職をしてそこを乗り切って、ボランティアや働き続ける人もいますよね。

だけど、それらができなくなる時期って必ずきますよね。そうすると地域とのつながりや社会参加する機会を失っていく。

 

でも、そこも乗り切って、そういうのには参加できないけど、隣近所、近隣とのつながりはつづける。そして、そのあとにくる落とし穴が、医療や介護が必要になったとき。

ここの落とし穴にはまらないために大事なのが、近隣のつながりから、専門職の支援につながること。

ここが大事になってくるのだけど、実際はこの専門職の支援が遅れがちになってしまう。

だけど、この医療や介護が必要になる状態になるまでにちゃんと近隣とのつながりを作っていれば、自分自身でそういった専門職のところに行けなくとも近隣の人たちがたとえば「うちに連絡をくれる」ということをしてくれると思うんですね。

 

そういう意味で「地域とのつながりを保てるか」というのがすごく大事になってくると思います。

人とのつながりをもつことが社会参加

戦後は闇市があったせまい路地

――特に終末期や看取りについて考えたとき、心身の機能がどんどん落ちてきます。そういった状況での社会参加とは?

 

それこそ寝たきりであと数か月になったときでも自分自身が託せる医者や看護師がいて、そういう人たちとつながっておくってことも僕は社会参加だと思います。

シームレスなつながりを保つための社会参加でもあるわけですが、つながり自体も社会参加であると言える。自分が何かするだけじゃなくて、つながりをいつまでも絶やさないということ自体が社会参加でもあるということ。

自分のことを知っている人がいることだって難しい世の中。それは家族でなくてもいいわけですよ。

 

たまに電話ありますよ。「ここ1週間鳥の声しか聞いてないから電話したの」っていう生活保護の一人暮らしのおばあさん。

通院のときだけこの病院にきて、帰りに看護師さんに「包括に連れて行って」って連れてきてもらって、ここに来る前にそこのお菓子屋さんでカステラとかを買ってきて、一緒に食べて帰るまでの時間をともに過ごす。これも「社会参加」だと思います。

 

>>次へ

更新日:2016年04月12日


このインタビューを読んで良かったですか?
良かった 良かった

7

「シームレスな社会参加」で豊かな終末期を支援…大田区「みま~も」の地域包括支援センターの枠を超えた取り組み(1)

この記事が気に入ったら「いいね!」しよう

「シームレスな社会参加」で豊かな終末期を支援…大田区「みま~も」の地域包括支援センターの枠を超えた取り組み(1)

「シームレスな社会参加」で豊かな終末期を支援…大田区「みま~も」の地域包括支援センターの枠を超えた取り組み(1)

この記事が気に入ったら
「いいね!」しよう

「シームレスな社会参加」で豊かな終末期を支援…大田区「みま~も」の地域包括支援センターの枠を超えた取り組み(1)

大切なひとと考える『これからハンドブック』

pagetop