医療・介護から看取りを支える人たちのインタビュー ”ひと”

インタビュー“ひと”
看取りに取り組むフロントランナーたち - Human Inteview -

営利だけでは乗り越えられない時代に…【1】

Profile

株式会社ウッディ 代表取締役
木戸 恵子看護師

2008年 訪問看護ステーション はーと設立 2013年 ホームホスピス はーとの家 金町設立 2014年 機能強化型訪問看護ステーションの指定を受ける ・ 介護のみのりはーとカフェ設立

在宅医療に取り組んでいった経緯

木戸恵子氏(以下、木戸):

2008年に訪問看護ステーションを立ち上げて今年が8年目になります。

制度的な意味での訪問看護の歴史は平成4年からの「老人・訪問看護ステーション」というのが始まりです。私は平成9年、かなり初期から訪問看護師でして、通しで18年間の経験となります。最初はある医療法人が母体の訪問看護ステーションで所長をしておりまして、そちらが11年間。その後、今の「訪問看護ステーション はーと」を設立して…という流れです。

 

長く関わってきますと、歴史・時代の流れの中で「だんだんといろいろなことが変化してきている…」と感じます。

最初のころの訪問看護では、保健師さんと同じような役割、もしくはヘルパーさんと同様の動きを基本としつつも少し医療の要素が強まった役割をしておりました。

現在とは違って、ご本人さまの負担金は250円という時代ですから(さらに前は本人負担が無かったらしいのです)、看護師の地位がそれほど高くはない、いまほどではなかったということがありました。ましてや訪問に出る看護師の地位はだいぶ低かったように思うのです。

 

葛飾区という地域的なものもあるのかもしれませんが、そういった時代状況のなかでやはり高齢でおひとり暮らしの方、そうでなくても高齢者のみの世帯がかなり多かったということがありました。また、その時代ですので特にお困りになっていたのは障害をお持ちの方々だったのです。

「障害の方々にとって利用できるサービスがかなり少ない」というのは感じていました。まだそのころは「なにかあったらとりあえず病院が助けてくれる」といった時代だったのですが、段々と介護保険が制度的に整っていくなかで、それまで病院が集約的に果たしてきた役割が、いくつかの分野へと分割され、その担い手もそれぞれに分かれていきました。そうなると「それら各分野を俯瞰して総合的に見てくださるチームリーダー、地域のリーダーがいない」といったことや、あとは「最期まで過ごせる場所、つまりお看取りをするにあたっての住居がない」ってことなど、いろいろな課題が具体的に見えてきたのです。

 

在宅で最期を迎える経済的にあまり豊かでないご家庭、もしくは生活保護を受けながらおひとりで住んでいらっしゃる方、こういった病院で最期を過ごせない方々はだいぶ辛い思いをしながらの最期となりがちでした。家族がいれば家族ごと疲弊して、倒れてしまうぐらい疲れきってしまっていたり、おひとり暮らしの方であればさみしい切ない思いの中で最期を迎える。いわゆる孤独死とか、あとは介護疲労とかいった言葉で表現するような事態が多く発生していた時代でした。孤独死された何人もの方々と関わり、実際の状況を多く知ることになりました。例えばこんなこともありました。何時間か前にはもちろん誰かが接してはいるのですが、「お亡くなりになる寸前にぽろっと涙をこぼされたのだろう」という涙の跡を遺して亡くなっていた方。「悲しみの中で1人で逝かれたのだな…」ということが分かるわけです。こういったことといくつも向き合う経験を積むなかで、「そういったこともその方の人生」とは思うものの、それでも「最期に誰かが看取ってあげられたら」といった想いを強くしていきました。

 

いままでの人生はそれはそれとして、「最期ぐらい誰か一緒にいて声をかけてあげられたら…」というか、私のなかで「どうすれば、どんな工夫をすれば最期に一緒にいてあげられるかな」と思いまして、例えば「2時間おきに訪問看護師がお邪魔したり、ヘルパーさんがその後2時間おきにお邪魔して、そしてまた2時間経ったら看護師、夜の8時ぐらいから朝の5時ぐらいまでのあいだに全体として三~四回誰かが見回りにいけば、なんとか長い夜を越えられるのかな」と思い、そんなことも何度かチャレンジしました。

 

ですが、お邪魔しているときに偶然にも…といった方はあまりおられなくて、やっぱり家を出るときに「帰らないで」っていう目でこちらを見つめていらっしゃったりすることが、とても切ない。

「また2時間後、**時になったらまた来るからね」などとお声掛けして帰るのだけれども、次におうかがいしたときには、「ああ…」って「さよならしたんだね」って。「1人で立派だったね」って、「辛かった?」って聞くのだけれども、もちろんお答えはない。けれど「最期にきてくれてありがとう」って言ってくれているような気がしました。

でも、「やっぱりこれは孤独死の一つに入るのかな」って思います。

 

高齢者のみのご家庭、あとはもちろん2世帯、3世帯同居のご家庭でも、当時はやはり最期まで支えるのが大変厳しい状況であることが普通でした。「痛いよ」とか「苦しいよ」とか「熱が出た」…、そういった次々と困難な状況が発生していく方々を最期まで支え続けるのは、医療者にだって大変なことなのに、ご家族とはいえ素人の方々にはもっともっと切羽詰ってしまわれる状況だったと思うのです。もちろん乗り越えられる工夫と手段をお教えはするけれども…。

 

あるときお亡くなりになった後で遺されたご家族にお会いしたときに「最期の息遣いが、ずうっと耳についてしまって、このところずっと眠れなくなってしまっている」って。あとは、「ハァハァっていう声が聞こえる」とか、なにか見えているように感じていたり…とか。

やはり、辛い思いをそのあとも背負い続けておられるということなのだと思います。本当は「在宅で看取った」という達成感を感じてもらいたいのに、そういった辛い思いを抱えさせてしまっている…。こういったことが何度かあったのです。

 

自分で訪問看護ステーションを立ち上げれば、そういったことを乗り越える工夫をやり切ることができるのではないかと考えたのです。

その頃所長をやっていた訪看ステーションの母体である医療法人さんは、すごく私たちによくしてくれる、こういったことに協力的な当時は珍しい法人さんだったのです。それでも、なにかそういった「本来の活動とは違うことをしよう」となると、やはり何人もの方の判子が必要で、その為の書類が回っていって、そこではいろいろな考えの方がいらっしゃって止まってしまったり…といったことになる。「いいよ」「これやっていいよ」になるまでが結局はけっこう大変でした。

こういった経験を積んでいくなかで、「ちゃんと看護師が自らの力でチームを組んで在宅の課題を解決する、それも速攻に解決できる、そんなチームを作りたい」ということで、訪問看護ステーションを独立させてもらったのです。

 

訪問看護ステーションはご覧のとおりここまできましたが、そのなかでの目標は、やはり「安心できる地域づくり」でした。「この葛飾の金町という地域で、安心して最期まで住めるようなまちづくりと事業を提供したい」という思いが強くなっていって、そこからホームホスピスというものを立ち上げたのです。

いままでの問題解決手段ではうまく解決されない、そういった困ったときに避難するところがあれば、そこで解決できることもあるかもしれない。そしてお金がそれほどには掛からない。

地域柄もあります。あまりお金が掛からないように安心して暮らせるときはおうちで、危険なときは病院やホスピスで。そういった危険の予兆がわかるというスキルは看護師だからこそ身についていくものです。何日ぐらい入れば解決するとかの見立ても必要ですしお金の関係も計算する必要があります。

それにはやはりある程度スキルのある看護師が集まって、そしていざというときに短期間で解決できるような技を持ちあわせていること。

そして、そこを応援してくださる、しっかりと私たちに教えてくださり指導もしてくださる、いざというときには守ってくださる、一つのチームの一員としてこういった役割で動いてくださるお医者さんが必要なこと。そういったチームづくりにすごく励みました。

 

葛飾にはホスピス専門の往診医というかたがおられまして、その先生からお力を頂戴しました。ナースの養成にも力をいれてくださいましたし、反対に私たちがお医者さんと連携しやすいように私たちの意見を汲み取りながらお医者さん側の環境づくりにも取り組んでいただき、医療としてのチームは整いました。

今度は地域、介護、といった医療以外の方々とのチームづくりですね。そのチームづくりでも昔から馴染みのヘルパーさんの会社とか。

志のあるヘルパーさんですと、私と同じように訪問看護ステーションを立ち上げられたりしていたのです。そういったところと本来の介護保険ではカバーされない部分の仕事も果たせるような、そんなチーム形成を行いました。「これまで暮らしてきた自宅を離れたくない」という方々に、おうちでの生活に十分なサービスが行き届くようにと。

そして私どもが立ち上げた、訪問ではない形としてのホームホスピスの利用してもらったり…。

例えば、介護保険外のサービスになれば、寝泊まりっていうことも、一晩一緒にということもあるかもしれません。そういった融通も利かせていただくようなチームづくりをしながら進んできた次第です。

ホームホスピスの役割

ホームホスピスの施設内

木戸:

また、ホームホスピスを始めてみたら意外な結果がいろいろと出てきまして…。

最期のお看取りとなるということはもちろん想定内でした。しかし、そこでお身内の最期を看取られたご家族が、自分たちの生きかたを考え直したり、その方が亡くなったあとの生活が元気で健やかなものとなるような習慣や技を見出してくれたり…、といったことが出てまいりました。

 

具体例を挙げてご説明しましょう。

それまで認知症で閉じこもっていらっしゃった奥さまが、がんの末期のご主人さまをおうちで看取ろうという段になって「おうちに人がどやどやとこられてしまうと、自分達が落ち着いて生活する場所がなくなってたまらない」と感じられたようでした。それで、外からの人を寄せ付けないように居留守を使ってみたり、鍵を締めてしまったりと。私たちが訪問看護でおうかがいしても玄関を開けていただけなかったり…。

中でなにが起こっているのか、誰にも分からない。そういった期間がある程度続いて、あるとき中に入ることができたのですが、おうちは失禁だらけ、ご主人は薬を飲まされていないため痛がってしまっている、ご飯を食べてないからせん妄が見えてしまっている、一方で奥さまはそのときもずっと閉じこもってしまっている…。

 

それで、ご主人には私たちのホームホスピスにきていただくことになりました。

「最期まで。お看取りまでここで…。」となりましたところ、その認知症のおばあちゃまが、ご主人さまのお世話のために毎日通ってこられるのです。近くに住むお嫁さんがお弁当をこしらえて持たせてくれて、朝から夕方まで、お嫁さんが迎えに来られるまで、ご主人さまのそばにずっといらっしゃるわけです。

その後、ご主人さまを看取られてのち、かつては閉じこもりだったおばあちゃまがはーとの家に通うことになったのです。「通う」「人と接する」というのは「そんなに怖いことじゃないのだ」ってことを感覚として身につけていただいたのだと思います。ご主人さまの最期のお世話をするためにホームホスピスに通い続けることで、結果としてその後デイサービスに通えるようになったという効果もあったということです。

それを振り返ったときに、「私たちが想定している以上にホームホスピスが生み出す効果は大きいのかもしれない」ということがわかってきました。

 

栄養失調の方の場合もありました。

その方は大腸がんを患っていらっしゃって病院で過ごされている方でした。食べると出血してしまう。ときには無理にがんばって食べられるのですが…。栄養剤を点滴でいれようとすると吐血までしてしまう。もう「栄養は受け付けないよ」と体が言っている方でした。

「出血を起こさないように」ということで点滴をしないのであれば、ご飯を食べないわけですから、栄養失調で亡くなってしまう状況でした。人はご飯が食べられなくなって、おおよそ3カ月ぐらいで亡くなるのです。その方は「もう既に2カ月も食べていらっしゃらないから、あと1カ月ぐらいですね」と病院で言われていた方でして、もうこれ以上病院に居ても意味がないということで退院して私たちのホームホスピスに来られていたのです。

ところが、ホームホスピスでの生活が始まって、ご飯を煮炊きする匂いを嗅いだり、とんとんとしている音を聞いたりしているうちに、「ちょっと舐めてみようかな」と思って、舐めたらおいしかった。「ちょっと量を増やしてみようかな」ともぐもぐしたらおいしかった。「もうちょっとほしいな」と思うようになって、そうこうしているうちにその方はご飯が食べられるようになり、ご自分でスプーンを持って食べられるようになり、お箸を使えるようになり…っていう。残存機能が活き活きしてきて、もう既に1年2カ月生き長らえているといった方もおられます。

 

最初は、地域の方がお看取りする場所がなかったり、身寄りの方や親しくされてこられた方が近くにいらっしゃらず切ない最期になってしまうといった場合だったり、家族の負担が重過ぎるといった状況があったりするので、そこを担うためのホームホスピスという考え方でした。

ところが、ホスピスを運営していくなかで、上記のような経験を積んでいくなかで、「いのちを長らえる手段、自然に長らえる手段を持ち合わせているのが、ホスピスなのかもしれない」とか、「家族の介護負荷を軽くすることは、大切な方が亡くなったあとに家族が健康に過ごしていく一つの工夫でもあるのだ」とか、「そういったご本人が亡くなられたあとのご家族の生活や健康という面でも活かされるアドバイスができるのだな」といったようなことに、ひとつひとつ気づいていきました。

看護師のいる公民館のような場所を…

「介護のみのりカフェ」でのイベントの様子

木戸:

私たちが携わる患者さん1軒1軒の方に関しては、「力を振り絞る」という覚悟ができているのですが、その方々以外にも何かサポートが必要な、厳しい状況の方々が地域にはいらっしゃるのだ、ということが分かってきました。

一応健康な方々、虚弱なのだけれども介護保険の対象となったり大きな病気にかかったりはしていない方々。もしくは、子育てに戸惑っているお母さん方とか。あとはつい最近だと地震でとか、水害でというのもありましたけれど、いままでの平和な生活が一瞬にしてなくなってしまって、ああやって体育館などで集合生活をしなくてはいけなくなった方々。突然いままで見たこともない、喋ったこともない方々と同じ小さな部屋で過ごさなきゃいけなくなったときの空気感…。

そんなことを考えたときに、「看護師がいて仲介役になったり健康相談ができたり、趣味を広げたり人生論をみんなで語ったり、そういった場所。看護師のいる公民館っていうか、コミュニティサロンがあれば、この地域がもう少し豊かになるのかな」っていうのが気持ちの奥にありまして。

 

そうしたら、「ホームホスピスのご利用者様にとっても意味があるな」と思えてきました。

ちなみに、私たちのホームホスピス「はーとの家」は、無認可ホームでしたのでデイサービスの事業はできなかったのです。「ホームホスピスをご利用いただいている方に昼間はどうやって過ごしてもらおうかな」って考えたときに、そういったコミュニティサロンとなっていればデイサービスみたいに使えるし、あとは「ホスピスが社会と壁を隔てなくても済むな」っていういろいろな含みがありまして、コミュニティサロンをつくったのです。

 

大きな、最終的な目標は、災害時での避難生活等そういったことに備えることです。ですが、その前に地域自体を豊かにする必要がある。

「隣に住んでいる方がどんな方なのか」、もしくは「地域にどんな病弱な方がおられるのか、もしくは気を使ってあげなければいけない方々が住んでいるのか」っていうのが普通では見えにくい。

例えば、精神科の患者さん、あとは障害をお持ちのママさん。障害をお持ちの子どもを授かってしまったママさんたち。「ひとときも家族から目を話せない人がどうやってゴミ捨てにいくのかな」とか、あとは「なにかちょっとした買い物をするときに助けてくれる人がいれば随分と暮らしやすい地域になるのに…」と感じていたのです。

制度を上手く使えない人たちというのは、本当に困っている状況にあることが多い。例えば身動きできなくなっていたり…。それでいつの間にか自宅をゴミ屋敷にしてしまったりするのです。

 

「そういったところでの助けあい、自助と互助がもうちょっと高まっていくように、私たちがケアとして積極的に助け合いの動きを支えられたらいいな」っていうことで、コミュニティサロンを繰り広げています。大元は、白十字訪問看護ステーションの秋山さんがやられている「暮らしの保健室」からアイディアは頂戴しています。もちろん、「暮らしの保健室」という看板でもよいと思いますし、「コミュニティサロン」でも「カフェ」でもいいのだと思っています。

 

ただ、そのなかで一つ大切にしていることは、「お子さまから、障害を持った方々や、ご高齢の方々まで」っていうことです。これは、「介護保険のようなどこかから認定されている方のみを対象として限定する、そういった場所なのではない」という考え方です。つまり、精神疾患の患者さん方のみのための作業所でもなく、障害を持ったお子さまだけがいくような療養型通所の施設でもない、ということです。

 

いろいろな方々がいろいろな視点から「人を理解する」「社会を理解する」ということが必要なのだと思います。そして、やはりそこには医療的な悩みに応える力とか、あとはコミュニケーションを取る力とかそういった仲介力とかも必要になってくると思います。なので、やはりそれなりにトータルでサポートできる看護師とか保健師さんとか、あとは社会福祉士さんとか、そういった方々が立ち上げることが有効なのだと考えています。

 

もちろん、認知症カフェなど、優れた実践を重ねている動きもありますので、一概になにが正しいということではないと思います。ですが、私のコンセプトは「すべてをごちゃ混ぜにする」です。災害時はすべてごちゃ混ぜですので、最終的に災害時ということも見据えて「誰々のといったカテゴリをつくらない、すべてがごちゃ混ぜになった楽しめる癒される場所づくり」というものです。「災害時に向けての練習」っていうことでもある。そんなこんなの事業をしています。

 

私の訪問看護ステーションは、ただ単に「1人の固定された患者さんのところにいってサポートする」という世界ではなくなってきています。「業種や職種を超えておこなうべき地域ケアというところをお金にならなくてもフォローしなくてはいけない」「そこで活かすべき看護師の力を豊富に見出すことができる以上、お金をもらえなくてもそのケアに重点を置いてやっていこう」という考えで展開しています。

 

もちろん本業がしっかりとお金を稼がないと資金繰りが大変になってしまうので、そこはしっかりと回しながら。

もちろんホームホスピスも赤字ですし、コミュニティサロンはまったくお金があがる場所ではありません。資金繰りはなんとかくるくる回している状況ですが、事業としても将来的な実りはかなりあると思います。地域のと関係が密になることで「あそこで困っている方がいらっしゃって、たぶん病気だと思うのよね」ってことが分かれば、そこにお顔をお出しして「今度看護師さんがくるようにしようか?」って伝えられる。「お医者さんはどこにかかっているの?」って仲介に入ることもできれば、固定客にもなるわけです。ご利用者予備軍をいまから集めているのと同じなので、資金繰りといったところへの影響はまったく心配していません。

 

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更新日:2016年03月30日


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