医療・介護から看取りを支える人たちのインタビュー ”ひと”

インタビュー“ひと”
看取りに取り組むフロントランナーたち - Human Inteview -

せめて死ぬことくらいは自分で決めたい

Profile

全国訪問ボランティアナースの会
菅原由美看護師

全国訪問ボランティアナースの会キャンナス代表 / 有限会社ナースケアー代表 / 開業看護師を育てる会代表

「家で死ねるって幸せなこと」100歳になる祖母をはじめ、身内の在宅看取りを複数回経験

「在宅看取り」とは、病院でなく、「それまで暮らしてきた家で亡くなる」こと。

自宅での療養を希望する人は増加傾向にあり、要介護状態になっても自宅や子ども・親族の家での介護を希望する人が年々増えている。また、癌などの治療がひと段落した患者や、余命宣告を受けた患者の生活の質を重視した医療として、在宅医療に対する期待は高まっている。

 

介護保険制度が発足する以前に在宅看護・介護の重要性に気づき、全国訪問ボランティアナースの会「キャンナス」や、24時間365日対応の訪問看護ステーション「ナースケア」を立ち上げた菅原氏に話を聞いた。

 

◆100歳になるおばあちゃんを自宅で看取る

私は、夫のおばあちゃんと私自身の叔母、夫の両親と実父とこれまでに5人の看取りを経験しました。義理の祖母と義父は自宅で看取りました。叔母と義母は、容態が急変したので数日間だけ入院して、病院での最後を迎えましたが、それまでの看護期間のほとんどを自宅で過ごしました。

 

100歳になるおばあちゃんの看護をしていたのは昭和の終わり頃のことです。検査づくめで、患者は医者の言いなりでした。出血したからということで出血の部位を見つけて手術するかどうかを判断するために、当時はまだ親指ほどの大きさの胃カメラを100歳になる高齢の患者にまで飲ませようとする時代です。

病院勤務の看護師経験があった私はたまらなくなって「部位が見つかったら、100になる祖母にも手術をしてもらえるのでしょうか?」と訊ねました。そういったやり取りを担当の医師と繰り返すなか、「そこまで言うのなら…」ということで最終的に退院、つまり自宅に連れて帰ることになりました。

 

それまでは、私と義理の母とで1日おきに病院に通い、おばあちゃんに付き添っていました。私には3人の子どもがいるのですが、その頃はまだ小さく手のかかる時期だったのです。夫が始めたばかりの会社の手伝いもしていました。そんな中での病院での付き添いは、疲労と睡魔との戦いでした。おばあちゃんの息が、いつ何時止まってしまうかも分からない。優しい人でしたから、疲れてうとうとしている私に気を使って、一人でトイレに行こうとする。その途中で転倒してしまうかもしれません。不安や心配の連続でした。

 

でも胃カメラを拒否して退院が決まって、住み慣れた家に祖母を連れて帰ってくると、途端に生活は楽になりました。もう病院まで行かなくていいのです。元の生活に戻れるのです。だって、病院の座り心地の悪い椅子でうとうとしなくていいのですよ。隣に布団を敷いて寝られるのですから。

 

やがておばあちゃんは、昔からお世話になっている近所のドクターに看取られて家で亡くなりました。そのお葬式のとき、ずっとおばあちゃんとお付き合いのあった近所の人たちが「100歳になるまで生きて、家で死ねるって幸せなことよね」「あやかりたい」「羨ましい」って口々におっしゃるのです。私をねぎらってといったふうではなく、しみじみと。私はそのとき、「ああ、みんなはこんなにも暮らしてきた家で死にたいんだ」と実感したのです。

 

◆大腸癌の母を最期まで自宅で看護する

一緒におばあちゃんのお世話をしていた義理の母には、「ゆっくりしてもらいたいな」って思っていました。ところが、今度はその母が癌になっちゃいまして…。

 

手術をしたけれど、手の施しようがなくて、「連れて帰ってもいいよ」とお医者さんに言われました。でも、義理の父は告知をすることに反対して、退院させたくないって言うのです。

だから、病院まで片道2時間半、3時から7時までたった4時間しかない面会時間でも、あと数ヶ月しか生きられない人に会うために、必死になって通う生活が始まりました。母自身も、自分が病院にいた方が家族に迷惑をかけないだろうと思っていましたから、告知をしないで母を連れ帰る方法がないのです。

そこで、母が庭の花の手入れをするのが好きだったことを思い出して、「お母さんがいないと、この先庭に花が咲きませんよ。お父さんと私に庭を任せていたら、草と新芽の区別がつかないからみんな抜いちゃいますよ」と言ったんです。そうしたら、帰ってきてくれました。

 

やっぱり母は、嫁の私に面倒をかけたくなくて、遠慮していただけだったのです。大腸癌で食事はできなかったので中心静脈栄養っていう点滴をずっとしっ放しで人工肛門もつけていたのですが、帰ってくるなり点滴台をずるずるひきずりながらも張り切って父に食事の作り方を教えたり、洗濯物のたたみ方を指導したりしていました。

そこには主婦が戻ってきていたのです。病院の中では、ただ白い部屋の中でベッドに寝ている役割しかなかったのですが、帰ってくれば家の中のことを仕切る主婦という彼女だからこそうまく果たせる役割があるのです。

 

在宅ですから面会時間といった決まりもありません。孫たちを自由に会わせてあげられました。朝から晩までいても誰にも怒られないのです。こんなハッピーな最後があるのだって思いました。最期は下血をしてしまったので救急車を呼んで、そのまま入院して1週間で亡くなってしまったのですけれど…。

告知さえしていれば、往診医にはかかっていたので、祖母と同じような最期がたどれたと思うのです。母の葬儀の時には、また親しくしていた近所の人たちに言われました。「最期まで家で過ごせて幸せだったね」「私も家で死にたいわ」。

 

 

 

〝私が〟家で死にたい。みんなで助け合う仕組みを作るため、看護・介護事業をスタート

義理の祖母や母など、身内を在宅看護・介護の末に看取った経験から、在宅での終末期の重要性や必然性、その意味など自らの身をもって知った菅原氏は、介護保険制度が発足する以前である1996年に全国訪問ボランティアナースの会「キャンナス」、1998年には24時間365日対応の訪問看護ステーション「ナースケア」を立ち上げた。全国の有志看護師たちで作られた、全国訪問ボランティアナースの会「キャンナス」の運営理念(目的)や活動内容について、詳細を聞いた。

 

 

◆〝私が〟家で死にたい

私が『キャンナス』を作ったのは、1996年です。介護保険制度が開始される4年前でした。

100歳になる祖母を看取った時は、眠れない付き添いに家事育児、夫の会社の手伝いなど、一人でやらなくてはならないことが多すぎて、とても自分の時間が持てませんでした。クラス会にも行きたかったし、大好きな宝塚の観劇にも行きたかった。でも人は時間がない時、趣味の時間から削って行くのです。

あるとき、私は夫に「おばあちゃんが死ぬのが先か私が死ぬのが先か、どっちが先か競争だ」って言っていたのです。体力的にも精神的にも限界で、つい口走ってしまった言葉ですが、今でも思い出すとショックです。だけど人間はこういう状況が続くと、人に優しくできなくなることや、虐待をしてしまうこともあるかもしれないことを実感しました。

 

おばあちゃんを看取った当時40歳になるかならないかであった私にとって、自分が逆の立場になることは遠い先のことだったのです。自分の死ぬときのことなんて、想像もできませんでした。

でも、義理の母が癌になったときは違いました。初めて「30代でも死ぬことはある。もし私が余命半年だと言われたら、死ぬまで病院の中にいるのは嫌だな」と思いました。「私は生まれ育ったこの街で死にたい。住み慣れた家で死にたい。そのためには、私がおばあちゃんやお母さんを看取るまで支えたように、私のその役割を務めてくれるナースが身近にいてくれないと無理だ」と気がついたのです。

「みんなで助け合う仕組みを作りたい。病院ではなく、自宅で家族に囲まれて死ねる人が一人でも増えたら」そんな思いから、『キャンナス』を立ち上げました。

 

『キャンナス』の運営には、現在も変わらない3つの理念(目的)があります。一つめは介護家族の人たちに、息抜きの時間を提供する、レスパイトケアを行うこと。二つめは在宅看取り。在宅でのターミナルケアを行うこと。三つめは、潜在ナースの掘り起こしを行うこと。

『キャンナス』を立ち上げる前、NHKで当時100万人の潜在ナースがいる。という放送があったのです。ライセンスを持ちながらも、今はナースの仕事をしていないっていう。その中の一人が私だったわけですが、そういう人たちが、もう一度地域の人たちのために、生活の一部でいいから活躍してくれたら家で死ぬことのできる人が増える。1日に1度だけ、点滴を替えにいくだけでもいいのです。そんなお手伝いができる人がいれば、私も家で死ぬことができるって、そう思ったのです。

 

 

◆『キャンナス』の活動と特徴

『キャンナス』は現在、88拠点で活動しています。近々3拠点加わることが決まっているので、このペースで行けば2016年中には100拠点は超えるだろうと思います。

『キャンナス』のネーミングは、“デキル(Can)ことをデキル範囲で行うナース(Nurse)”の意味から名づけました。スタッフの看護師は皆、家事や育児などに追われ、リタイヤを経験しています。それでも「何とか再び自分の貴重な経験や技術を活かしたい」という熱い思いから集まってきてくれています。理念や目的を共有してくれる仲間たちで構成された共同体で、会費も上下関係も一切ありません。

 

元々は「(潜在ナースである)主婦の人たちが、空いた時間にお手伝いしてくれれば」という考え方でスタートしました。けれど現在は、すでに訪問看護ステーションを持っている人たちがかなりいらっしゃいます。訪問看護をやって、事業化しているけれども、やっぱり制度の中だけでは対応しきれないことがあるので、『キャンナス』の仲間になってやっていきたいと言って立ち上がってくる人たちが結構増えています。

 

最近は「保険外サービスに対応したい」ということで、意欲的に『キャンナス』に加わる方も多いのです。通常、保険外のご依頼だと、依頼主に対し事業者側の担当者は初対面になるわけで、まずは信頼関係の構築や相互理解に多くの時間と労力を要することになります。ところが、訪問看護師ならばすでに面識や信頼関係があるわけです、日頃ケアしている者が対応するわけですから。利用者にとってとてもハッピーなことだと思います。

そもそも「保険外なのか保険の範囲内なのか」は制度上の問題にすぎなくって、利用する側も提供する側もそれらを一体として扱う方が自然なわけです。ここからここまでって線を引いてしまってそれぞれに対応する事業者や担当者が異なるというのは、連携の問題やらいろいろと難しくなってしまうわけです。

 

『キャンナス』は幅広いサービスに対応しています。例えば、「認知症の祖母がいて眠れない。一晩でもいいのでゆっくり寝たい」とか「癌末期の身内がいるのだけど、何かあると怖くて」といった夜の付き添い、「お花の稽古に行きたいから木曜日だけおじいちゃんを看ていて欲しい」といった対応など、いろいろとあります。保険外サービスならば、「慣れ親しんだ軽井沢に最後だから連れて行ってあげたいけれど、祖母の面倒を看ながらでは私たちが休めない。看護師さんにも一緒に来て欲しい」といった依頼にも対応できます。

ただ「家で死ぬ」ということだけがターミナルケアではなくて、「残された命をどう過ごしていただくか」を考えるお手伝いができたらと思っているのです。旅行へ行きたいという方がいれば、最後の思い出にどこへ行きたいとか、温泉に入ってみたいとか、桜が見たいとか、映画が見たいとか、いろんなご要望がおありだと思うのです。そんなときの思いや夢を叶えてあげられるお手伝いをしていきたいと思っています。

 

 

 

「責任ある仕事」ナース教育に関する様々な課題と介護保険制度の実情

義理の祖母や母など、身内を在宅看護・介護し、看取った経験から、全国訪問ボランティアナースの会「キャンナス」や、24時間365日対応の訪問看護ステーション「ナースケア」を立ち上げた菅原氏。全国の有志看護師たちで構成された、全国訪問ボランティアナースの会「キャンナス」の運営理念(目的)の3つの理念(目的)のひとつ、潜在ナースの掘り起こしとはどういった取り組みか。また、2000年からスタートした介護保険制度の実情について、菅原氏に聞いた。

 

 

◆潜在ナースとナース教育の課題

30~40年前は25歳くらいで結婚を機にナースを辞める人がほとんどでした。5年も10年も現場から離れると、自分の能力も落ちていますし、医学の進歩にもついて行けていません。現役の頃に日進月歩する医学を見ているわけですから、「今更私なんかじゃ何もできない」「責任ある仕事に戻るなんてできない」「子育て中の人間が片手間にするのは許されない」といった考えで復職しようとしない人が当時は多かったのです。

学生時代、看護師の仕事は重大な責任のある仕事だということを徹底的に叩き込まれていますから、気軽に戻ろうとは思えなかったのです。

 

今でこそ、病院以外にも看護師が働く場所はかなり増えました。介護保険制度の中で看護師の配置義務ができたので、いろいろなところでナースが足りないのです。おかげで、最近では潜在ナースの数は半分近くに減りました。

でも、働くところが増えた反面、人の生死に関わらなくていい、いわゆる「責任が重くない」仕事が増えました。看護師が足りないので、急いで大学をたくさん作ったのです。私たちの頃は、看護大学って、数えるほどしかなかったのです。でも今はもう、学部・学科が増え続けて3校に1校は看護学科があるようになっているのです。

 

そういう背景があって「英文科落っこちたけど看護科受かったから、じゃあ、看護師にでもなるか」って看護師になっているような、看護師の仕事に情熱が持てない子たちが増えているのです。そういった子たちは、責任の重い仕事を避ける傾向にありますが、それでは経験が詰めないので、能力が向上しません。

でも、3.11の震災があって、看護師を目指す若い学生が、大勢ボランティアに来てくれて、いろんな話をするチャンスがあったのです。そのときに「看護師になりたくて看護大学に行ったんじゃないのですけれど、今回ボランティアに来てやっと少し看護が面白く感じました」って言ってくれる子もたくさんいたのです。「病院の中しか知らない子たちが、病院以外で看護の重要性を認識する経験ができて、本当に良かった」と思いました。

 

意欲のある看護師を育てるためには、カリキュラムをはじめ、教育現場の改善が必要なのかもしれません。

大学の医学部の教授ですと、学生に授業を教えたその日にも手術をしていたりするのです。例えば外科の教授だったら、外科のオペもして、外来もやり、そして教育もする。でも看護の世界では、看護師は看護の教員になった瞬間に現場から離れるのです。実習に同行するくらいで。日進月歩する医学に寄り添う看護の教育を、現場を離れた人間がしているのです。医師の教育現場では実現できているのに、看護師の教育ではどうしてできないのでしょう。教員の能力の差なのでしょうか。

この問題は私が生きている間には解決しないと思っていますが…。

 

 

◆介護保険制度の実情

2000年(平成12年)からスタートした介護保険制度は、2012年(平成24年)に「地域包括ケアシステム」の実現に向けた改正があったように、長年の間に少しずつ変化していいます。

最初の頃は、身内の冠婚葬祭やお見舞いなどに付き添うことも介護保険で対応可能でした。しかし、現在は一切認められません。そのため、一時期減った『キャンナス』への保険外サービスの依頼は、また増えてきています。

利用者さんたちは日頃慣れている看護師さんやヘルパーさんに付き添ってもらいたいと思っているのですが、冠婚葬祭のお付き合いは一切、介護保険では対応できず、自費になってしまうのです。ただ、選挙だけは別なのです。選挙前になると、『選挙は同行していいので、利用者の希望に沿ってプランを立ててください』って通知がちゃんと行政からケアマネさんたちに来るのです。葬儀もダメだし、孫の結婚式もダメだし、入院した息子のお見舞いもダメなのに、選挙だけは保険で行けるのです。

 

今大変なのは、筋萎縮性側索硬化症(ALS)といった難病などで動かすことが難しい方たちのご家族です。負担がものすごく大きいのですが、そこは介護保険制度や医療保険制度だけではカバーしきれないのです。

私たちのような訪問看護ステーションでは、そういった人たちを預かっていいということに制度上はなっているのですが、そんな難病を抱えた寝たきりの人たちをステーションまで連れてくるための設備を搭載した車がないし、そういった方には、1人に対して3人の看護師が付いていないといけないということが決まっているので、受け入れは難しいのです。そもそも、そんな難病の方をわざわざ連れて来るくらいだったら、看護師が訪問した方が、双方にとってハッピーじゃないですか。でも看護師が訪問して、長時間自宅で付き添うというのは、現在のところ保険外サービスになってしまうのです。

私は立ち上げ時、介護保険制度がきちっと成熟したら、『キャンナス』のようなボランティアナースの活動は減っていくだろうと思っていましたが、残念なことに、年々増える一方です。介護保険制度は、まだまだ改善の余地があると思います。

 

 

 

大切なのは「いい看取り」を経験すること。看護・介護業界の課題と目標

義理の祖母や母など、身内を在宅看護・介護し、看取った経験から、全国訪問ボランティアナースの会「キャンナス」や、24時間365日対応の訪問看護ステーション「ナースケア」を立ち上げた菅原氏。在宅看取りを支えるターミナルケアの要とも言える訪問看護ステーションや、これから需要が増える一方だと考えられる、看護・介護業界で重要な役割を担うケアマネージャー、訪問看護師の教育などについて、菅原氏に話を聞いた。

 

 

◆在宅看取りの理想と現実

今後増加することが分かっている高齢者の在宅看取りを支えようとすれば、24時間365日対応する訪問看護ステーションが増えていかないと厳しいです。でも現実は、24時間365日対応する所よりも、リハビリ中心で、土日定休や昼間だけのオープンなど、営業時間が限られた所の方が増えています。

 

私は訪問看護ステーションというものは、24時間365日やって当たり前だと思っています。でも現状は、数が足りない状況ですし、やめられても困るものですから、営業時間が短い所や、土日お休みの所でも認めて、(行政は)「統計上では訪問看護は増えています」って言っているのです。

また、形式的な営業時間だけの話ではありません。医師の中にも在宅で看取っていると言いながら、最後は救急車で病院…という方も現実にはいるのです。それでも、「在宅主治医だ」と名乗られる方も。同様に訪問看護でも、在宅看取りをすると言いながら、最後は「救急車で病院に行ってくださいね」っていうところがあるのです。

 

とはいえ、そう単純な話でもありません。

私の義理の母は最後の一週間だけ病院に入りまして、結局そのまま病院で看取ったのですけれど、この場合も、1週間だけ止むを得ずの入院ではありますが、在宅看取りをしたというのか、いや、1週間でも病院に入ったから、在宅看取りと言わないとするのかは、非常に難しいです。統計って曖昧だと思います。

 

それから、本人や家族にとっての最期の思い出作り、つまり「残された日々をどんな形で過ごして生を全うするのか」までを含めたプランを立てて看護をするのか、ただ看取りだけをやるのかでも、訪問看護ステーションの役割はまったく異なってきます。

まず、必要となる信頼関係自体に大きな差があります。同じ24時間やっているところでも、利用者さんやご家族にそこまで踏み込んで聞き込んでいく中で「最後にしたいことありますか?こんなことができますよ?」といった提案までできるところとなると、非常に少なくなります。

 

 

◆看護・介護業界の人材教育と仕組みづくり

介護・看護対象者やご家族の窓口として、要望を汲み取って上手くすり合わせ、家族全員が納得する落としどころを決めるケアマネージャーや看護師、介護士の役割や責任は重いです。要望を聞くことができるだけじゃダメなのです。

傾聴はできても、ご家族の調整役っていうことまではできない人が多いです。プロとして、利用者さんに厳しくも優しくも接することができるような、コミュニケーション能力がある人は少ないです。頭の中で整理しながら話を聞いて、最後にまとめて、「ご主人はこう思っていて、奥様はこう思っていて、お嬢様はこう思っている。じゃあ、こうしませんか?」って提案するのがケアマネだと思います。

でも、そういったことができる方を育成する画期的な方法を、私はいまだに見出せていません。

 

ただ、ターミナルケアになると、キーマンはケアマネよりも訪問看護師になります。キーマンは訪問看護師ですが、看護師1人に背負い込ませず、他の専門職やスタッフが課題を共有しサポートをすることで、足りない部分を補っていきます。

ケアマネージャーや看護師の能力の向上を目指すには、看護師の仕事を見える化して、共有化できるような仕組みや、成功事例を世の中に発信していくようなメカニズムが必要なのかもしれません。

 

私は「いい看取り」って表現するのですが、初めて訪問看護の業界に来る看護師を「成功事例となるような『いい看取り』にどんどん同行させなさい」と言っています。最初に成功事例を経験すると、病院とは違ったやりがいを見出すことができて、直接仕事への意欲に繋がります。この業界から足を洗えなくなるのです(笑)。

 

業界も専門職も変わって行く努力をしていますが、現状は玉石混交でいろいろな看護師、医者、ケアマネージャーがいます。だから、利用者やご家族の皆さんの方も賢くなって、情報ツールを上手く使って、いいドクター、いいナース、いいケアマネを見つける努力をしていただきたい。いい巡り会いをして欲しいなと思います。

 

 

「死ぬこと」や「死後のこと」を自分で決められる社会に

義理の祖母や母など、身内を在宅看護・介護し、看取った経験から、全国訪問ボランティアナースの会「キャンナス」や、24時間365日対応の訪問看護ステーション「ナースケア」を立ち上げた菅原氏。自身の現役看護師時代を入れれば、看護・介護業界で30年以上走り続けてきたことになる。最後に、若々しく、エネルギッシュな彼女を支える原動力と、今後の目標・夢を聞いた。

 

◆せめて死ぬことくらいは自分で決めたい

私の父は、母が決めた特養に入っていました。誕生日にメロンを送ったら、施設は受け入れてくれたのですが、そのメロンを喉につっかえてしまったのです。

病院の救急から電話を受けて半日かけて行ったら、霊安室じゃなくてERにいるって言われて驚きました。画像を見せてもらったら頭真っ白なんですよ。特養から病院までどんなに救急車で急いでも20分はかかる距離で、その間呼吸が止まっていますから完全な脳死です。でも、強心剤を打って、心臓を動かして、呼吸を人工的にさせているのです。植物人間ですよね。

 

80過ぎで、20分も呼吸が止まっている人にまでそこまでやる必要が本当にあるのかって思いました。大好物のメロンを食べて、喉に詰まって、そこが命の終わりだとしてもいいと私は思います。蘇生をして、医療費をかけてもかけなくても事故死は事故死です。救急車が1台、約30分も父のために独占されました。この間に交通事故とか緊急事態があったらと思うとやるせない気持ちになります。80過ぎの老人より、若い人を優先して欲しい。そんな思いになりました。蘇生をするかどうかはもとより救急医療を受けるか受けないかを、本人はもちろん家族も介護者も思いを共有しておくべきであり、そうでないとこのような事になってしまう訳です。

 

あとで救急を担当している知り合いのドクターに聞いたら、この一連の医療行為にかかった金額は1000万円くらいだと言われました。申し訳ない気持ちになります。言ってはなんですけれど、無駄が多すぎると思います。

家族の方も腹をくくらないと。80過ぎの親が事故死だろうが何だろうがいいじゃないですか。「20分もかかるのに救急車なんて呼ばなくて結構です。嘱託医の先生にお看取りしてもらってください」って、言うべきですよね。

 

でも、施設は「自分たちはやるべきことをやった」っていう示しをつけたいのでしょうし、私はOKって言っても、妹や母は納得しないかもしれないので、難しいことも分かるのですけどね。

リビングウィルではないですけれど、自分の生き方を考えることって大事ですよね。生まれることは自分で選択できないですが、せめて死ぬときくらいは自分で選択できたらと思うのです。死ぬことくらいは自分の意思で決めたい。

 

 

◆『死後』のことまで一緒に考えたい

私は、普通に行われているお葬式って虚しいなって思うのです。だから自分のお葬式をどうしたいかというところまで突っ込んで話をしていって、式自体をコーディネートできたらいいなと思うのです。

お葬式って大抵、自分が亡くなった後に家族が葬儀屋さんに依頼して、言われるままにバタバタと手続きが進んで行く感じじゃないですか。だから最後の終活のひとつとして、葬儀屋さん任せにならないで、自分のお葬式ぐらい、自分で決めたい。お葬式に飾る花くらい、自分で選べる時代になって欲しい。

お葬式の時に使う写真は、最近は自分で用意しておく方も増えてきていますよね。もう一歩踏み込んで、看護させていただく方の死んだ後のことまで一緒にその方と考えたいのです。人生最後の演出のお手伝いをしたいと思っているのです。

 

実は、私を在宅看護の世界に導いた在宅ドクターがいます。一緒に食事をしていたそのドクターが「今から病院に行ってくる」と言うのです。理由を聞いたら、病院に入院している彼の元患者さんを訪ねるのだとのこと。

 

『僕の患者が入院しちゃってね、今日奥さんが面会に来るのだけど、最後にありがとうって言わせたいんだ。昔の男で、感謝の言葉なんて吐けない男なのだけれど、たった一言で奥さんはほっとするし、すべてを許せる。その一言を言わせるのが、在宅主治医であった僕の最後の仕事だと思っているんだ』と言って笑ったのです。

私はそのころ在宅医療の世界はあまり詳しくなかったのですが、そういう細やかなコーディネートができる在宅主治医ってすごいなって思いました。

 

そういったことがそれからもいろいろあって、この業界が面白くてやめられないのです。勉強することが山ほどあって、自分がどんどん変われて、気づかされることもいっぱいあって。立ち止まっていられないのです」菅原氏は朗らかに笑う。

「適切な在宅看取りを推し進めることは、無駄な医療や苦しい思いをする人を減らすことだと思います」

更新日:2016年04月27日


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