医療・介護から看取りを支える人たちのインタビュー ”ひと”

インタビュー“ひと”
看取りに取り組むフロントランナーたち - Human Inteview -

営利だけでは乗り越えられない時代に…【4】

Profile

株式会社ウッディ 代表取締役
木戸 恵子看護師

2008年 訪問看護ステーション はーと設立 2013年 ホームホスピス はーとの家 金町設立 2014年 機能強化型訪問看護ステーションの指定を受ける ・ 介護のみのりはーとカフェ設立

訪看ステーションがより有効に機能するためには?

はーと主催の「いのちを考える市民講座」の様子

編集部:

訪問看護が在宅看取りを支えるところでさらに十分な役割を果たせるようになるには、より有効なケアを提供するという力を発揮できるようにするためには、どんな工夫や制度的な改善が必要だと思いますか?

 

木戸:

私は、「ちゃんと続いている訪問看護ステーションのなかで、看取りをしたことがないステーションは存在しない」と信じています。数の多少はあっても何件かは看取っているのだろうって。

そういった中には、やはり看護師も人間なので患者さんが終末期に感じるストレスを支えきれなくなってしまうことがあります。つまり、患者さんの悲嘆を看護婦もストレスと受け止めてしまって支えられなくなってしまうということです。もちろん、痛みのところは医師の力が大きいので、そこは置いておくとして。

他にも、直面する問題状況に対して工夫が上手にできなかったり、更にはアウトリーチという他の方々を巻き込むことが必要になる局面となったときに、そこが上手くいかなかったりとか。

まず「訪問看護だけで支える」という発想は大きな間違いだと思っています。介護保険とかそういった制度で使えるサービスも重要ですし、家族の力といった制度にない人の力。あとは物理的な物の工夫とか。そういった要素を使いながら、組み合わせながら全体として成り立っていくと思います。けれども、そういった様々な要素の組合せといったところがアイディア的に、発想的に思い浮かばないと、きちんとした看取りとしての在宅看取り率が上がるということにはならないと感じています。

 

ただ、大切なことは看取り率という数字の問題ではないと思います。やはり、支えていくなかでのその方ご自身に適したケアの質が確保されるかが重要ですから。その方が根底に抱えている想い、我慢して医療者に対して装って答えるものではなく、本音でどう思っているかということを聞き出す力。コミュニケーション力があるかどうかだと思うのです。

「おうちが本当はよかったのか」「いやいや、実はこだわりがあって最期まで医者に面倒見てもらいたかった、病院がよかった」っていう方もおられると思います。

厚生省だって「絶対に病院で最期を迎えさせちゃいけない」って言っているわけではない。ケースバイケースのなかで、本当にその人が「これでいいのだ」っていうところに目を向けて、きちんと聞き出してあげて、その人が「ああ、よかった。俺はこの死でいいんだ」ってなれるか。私は最期に患者さんに聞くときがあるのです。もう死んじゃう人を目の前に「これでよかったの?」って。そうすると「うん」っていってくれた方が何人もいます。なので、そういうときに本音で語れることが大切だと思うのです。

 

編集部:

最近、訪問看護をもっと拡げるために「定期巡回随時対応型」という介護保険上のサービス類型がマスコミ等では話題になっていますが、なかなか拡がっていないようにも思えます。これが拡がるのは制度的に難しいのでしょうか?

 

木戸:

24時間対応のこのサービスに関しましては包括的な金額のお支払いになるので、看護師だけが24時間毎回毎回あちらこちらに行っているわけではないのです。ヘルパーさんとの連携になりまして、ヘルパーさんの皆さんがほぼ細かくまわってくれて、なにかあったときにそれを支えることをナースができればいい。1日のうちに1回ぐらいナースが回って状態を把握して、ヘルパーさんにお伝えして、迷わないように導いてあげればいい。そんなふうに私は理解しております。

ただ、やはり24時間支えるということは、実際の現場としてはまずはコールセンターが支えていくことになるのです。コールセンターで受けて状況に応じて必要な専門職が動くことになるわけですが、多職種で構成された協力体が形成されていないとできないのです。あとはヘルパーさん側の連携の問題もあります。大手の介護事業者が参入してこられていますが、それでもやりくりは大変だと思います。1箇所のヘルパーステーションでなんとかしようという発想では無理がでてしまうのだと思います。

 

ですので、私の仲間たち、いま連携させてもらっている5箇所ぐらいのヘルパーステーションに力を貸しあっていただくという発想を温めています。月火水木金を各ステーションで分けあい、そして各ステーションについては1週間で1日だけ全体のご利用者さん宅を回るというかたちです。こうすることで、おひとりおひとりの質を重視しつつもなんとか運営できるのではないかという考えです。

 

やはり、チームリーダーを誰になるのか。誰がそこで引っ張っていくのか。発想を豊かに「こういうアイディアならばできないか」と誰かが声掛けをし、それには根拠があり地域の方がそれを求めているということ。こういったことがターミナルの在宅を拡げていく上で大切なことだと思っています。

求められているのかということで言えば、メディアが「いいんじゃないか」といっても実際に地域の方がそれを求めていなければ要らないわけです。そこのところを確認するためにこの前のシンポジウムでもアンケートを取らせていただきました。それで、この地域では「最期よれよれになったら、やっぱり手を貸してほしい」という人が多かったということが分かりました。この結果と合わせて、もう1回ぐらいどこかのシンポジウムでアンケートを取らせてもらい、その数のデータで行政や仲間たちと一緒に考える場を作っていきたいと考えています。

 

こういう状況ですから、営利だけを求める業者さん同士の上辺の付き合いではもう持ちこたえられないと思うのですね。もうそこさえも超えて話を、親身になってお互いに助け、助けられるという関係。もしかしてそこでは営利という面では損しちゃうことも、組織の中の立場として責任を被っちゃうこともあるかもしれないけれども、そういったなかで地域をどんなふうに支えるのかっていう仲間をつくる。

それには誰かがリーダーにならないと無理なので、そういった役割を担おうと考えています。

葬儀や供養との関わりは?

市民講座のタイトルは「平穏死のすすめ」

編集部:

亡くなられた患者さん、ご利用者さんのご葬儀に参列されることはあるのですか?

 

木戸:

あります。「できれば公平に」と思っているので、気持ちとしてはグリーフケアとして別の時間を設けたいのですが、小さいお子さんをお看取りした後とか、あとは人間関係もあるので、なかには出ることもあります。あとは葬儀には出ないで別に「偲ぶ会」というのを設けることもあります。ホームホスピスであるはーとの家ではよく「偲ぶ会」を行っています。

あとは「ピュア会」というものも計画したいと考えています。これは、在宅で看取られたご遺族のかたを年に1度ぐらい労うという趣旨で、健康上のご様子を見るということや、その後の生活背景を見るという意味も含めて、行いたい。「みのりカフェ」というコミュニティサロンも立ち上がったので、そこの場で往診の先生方とともに「ピュア会」をできるように、この秋から冬にかけて考えているところです。

 

編集部:

「偲ぶ会」というのはどういうことをされるのですか?

 

木戸:

みんなでお写真を並べたり、映像を見たりしながらお食事を食べたり、思い出話をしたり…とかですね。はーとの家では聞き書き帳をスタッフに渡しています。その方の大切にされている思い出とか、あとはご家族に面と向かって言えないこととか、伺ったことを日記に起こして絵を添えてあげたり写真を添えてあげたりして、お亡くなりになったあとにご家族にお渡しするようにしているのです。

皆さん、お喜びになります。「そんなことを言っていたのか…」と言って。私たちはそういうことの橋渡しになることも、やっぱり24時間生活を、お体をお預かりするという上では大切だと思っていますので。

 

また、知識や情報も大事だと思っています。お葬式のノウハウとかよりも、いまから考えて準備しておかなきゃいけないこと、例えばエンディングノートのこととか。あとは「実はこんなこともできる」といったようなこと。例えば樹木葬のこととか、散骨のこととか、あとはお金の成り行きとか、そういった、「いまから考えておいたほうがいいよ」ということを知っておくことはとても大切だと思います。

訪看ステーションの役割の再定義

講師の石飛幸三先生と

木戸:

これまで私は、「訪問看護ステーションは、生きる人を支える存在」と言っていました。「命と暮らしと生活を支える」と言っていたのです。もう、ずうっとそう言い続けていました。ついこの間までです。「命と生活を支えるのが看護師だよね」って。命が亡くなった後はグリーフケアになるのだけれども、そこからはもう命がないのだから、お身柄がないのだからなんにもないはずという考え方です。ですが、段々と違うような気がしてきました。

 

いまは「人生と暮らしを支えるのだ」と思うのです。「その方の人生を支える」というのは、その方がお産みになったお子さまがたとか、あとは残された犬とかそういったことも含めて「人生を支えていく」ってことなのだと、いまは思うのです。

 

去年の3月4日に乳がんのお母さん、私と同じ年のママが、高校3年生の娘さんをひとり残して亡くなりました。ご主人さまはもともとおいでじゃない方なので母ひとり娘ひとりというご家庭ですね。そのお母さんが乳がんで亡くなられたのです。

高校3年生の娘さんはちょうど卒業式が終わってそのあと社会人になる予定で会社も決まっていたから、ご本人としては「なんとか義務は果たしたよ」って思いなのですけれども、1月1日にその方に呼ばれて伺うと、「娘はいいのだけど、あとは娘がかわいがっている猫はなんとかいいのだけれど、この犬がね」って言われたのです。いつも訪問にいくとわんわんと吠えるすごい犬だったのです。

「この犬がね」って、「どれ、犬の顔見せてごらん。ああ、うちにくるんだね」ってその場で言いました。それでいまは私が可愛がっています。ずうっと。

その3月の4日に亡くなったのですけれど、3月1日にもらいにいったのです。1日にもらいにいったときに私は主人と車でいって、患者さんは2階建てのご自宅から階段を降りてきて、最期に抱っこして私に渡してくれたのですね。そのあとそのままずうっと寝込んで、4日にお亡くなりになったのです。

その犬のこととかそういうことだと思うのですね。その人の人生を支えるということの一部。

 

「その人の人生と暮らしを支える」というのが訪問看護ステーションだと思うので、それにはやはり私たちだけでは足りない常識とか教養とか、ご事情がいろいろあると思います。

そこの情報を一緒に組んで教えていただき「暮らしを支える」「人生支える」もういっぱい手を貸してほしいなと思っております。

お葬儀をお願いするかどうかという話だとまた違うニュアンスになると思うのですね。

「人生の大切なところを支える」という意味で手を貸していただきたいなと思っております。

 

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更新日:2016年04月15日


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