医療・介護から看取りを支える人たちのインタビュー ”ひと”

インタビュー“ひと”
看取りに取り組むフロントランナーたち - Human Inteview -

看取り援助をしっかりとすればするほど、葬儀の大切さを強く感じます(1)

Profile

株式会社エイジング・サポート
小川 利久業界人

ユニット型特別養護老人ホーム「ハピネスあだち」 を立上げ、施設長を8年務める。 現在は、株式会社エイジング・サポート(東京都港区) 代表取締役

ユニット型特養での看取り援助の先駆者

小川氏は、有料老人ホームから始まり、高齢者住宅、グループホーム、特養、在宅ケアサービスなどの企画から立ち上げ、運営に携わってきた。

介護保険制度で「看取り介護加算」が創設された2006年、社会福祉法人ファミリー理事 法人本部長に就任。同年、特養「ハピネスあだち」(東京都足立区、(社福)ファミリー)を立ち上げる。

 

8年間施設長を務め、特養における看取り援助を確立した。退職後は、エイジング・サポート実践研究会を設立。また、東北大学加齢医学研究所スマート・エイジング国際共同研究センター東京分室スマート・エイジング・カレッジ東京事務局長なども務める。

 

「『死』の価値観を変えるためにも、もっと早い段階での葬儀社と介護施設の連携を」と話す小川氏に、ハピネスあだちでの看取り援助への挑戦と葬儀社との連携の実際について話をきいた。

足立区に12番目の特養として開設

設立当時のハピネスあだち外観

小川氏は、大学卒業後、現㈱長谷工コーポレーションに入社。住宅販売企画、有料老人ホーム・シニア住宅の事業企画等を担当。民間創生期の有料老人ホームを立ち上げる。

その後、民間シンクタンクにてマーケティング手法に基づくシルバー事業等の企画やコンサルティング業務に携わる。

 

制度施行後の国内第一号となる認知症高齢者向けのグループホーム立ち上げなどを経て、2001年、現 社会福祉法人きらくえん法人事務局長に就任。故・外山義教授(京都大学大学院)の監修の下に、個室ユニット型制度化のモデルとなった、特別養護老人ホーム「けま喜楽苑」を立ち上げる。

 

2003年に東京都の「都営住宅跡地利用特養計画」公募事業が開始されたころ、小川氏は3年ぶりに兵庫から東京に戻り、埼玉県内で別の個室ユニット型特養に携わっていた。

そこに、(社福)ファミリーの理事長から上記公募に向けた企画書作成の依頼を受ける。結果、応募した19法人の中から選ばれることとなり、2006年4月、ハピネスあだちが東京都足立区に3年ぶり12番目の特養として開設された。

 

個室ユニット型特養として150室、ユニット型ショートステイとして20室、そしてデイサービス・訪問介護・地域包括支援センター・研究と宿泊研修所を併設。「地域の福祉学習の拠点施設」を目標とした研究・研修施設併設型特養としてスタートした。

 

2~4階の居室フロアは全室個室。個室10人を1ユニットとして、各フロアに5ユニット(計特養15ユニット150人、ショートステイ含め17ユニット170人)で構成。住まいとしての居住環境を尊重しつつ170人の個別ケアを実践する。居室(約16㎡台)には、洗面台の他にトイレを全室に設置している。

 

東京都からは「都が希望する施設づくりを」という指示を受けていた。そのうちの一つが「多くの重度者の受け入れ」だ。

とはいえ、2006年当時「重度者の割合が極端に多いと施設運営が回らない」との認識が一般的に共有されており、最終的には「要介護度3、4、5がそれぞれ3割ほど、要介護度1~2が1割ほど」という入居者構成でのスタートとなった。

 

※なお、2015年4月より、「要介護度1以上」だった特養への入居条件が、「新たな入居者は原則要介護度3以上」と引き上げられている。

看取り援助への挑戦がスタート

2006年当時、施設内での看取りを実践している特養施設はほぼ存在せず、「最期は病院へ」という流れが一般的だった。

 

「開設当初は、他の特養含めた介護施設と同様に、医師の指示があれば安易に病院に搬送していました。それが当時の『常識』だったのです。」

「病院に行けば点滴や胃ろうなどの処置が施されることもあります。治療や管理の為に必要であれば、投薬や(場合によっては)身体拘束もされながらで、ベッドで『静養』してもらうことになります」

 

「戻ってきたときには、自分である程度なんでもやられていた方が、それらの治療や入院の影響で寝たきりになってしまって、それがきっかけでその後の生活がガラッと変わってしまう…といったことがよく発生していました。」

「入院が、生活の質の大きく下がるきっかけとなるケースです」

 

「私たち特養の現場では、なんとかもう一度生活の質を上げてもらおうと、離床支援から始めてコツコツと入院前の自立度に近づけていく。その半ばでまたなにかあって入院してしまい、戻ってきたときは…。」

「こういったことを何度も繰り返している途中で亡くなる、という展開でした」

 

また、救急搬送となっても「受け入れてくれる病院がみつからない」という状況は当時から発生していた。

救急車を呼んでから5分程度で施設に到着するのであるが、そこから病院がみつかるまでに2時間以上かかってしまう。その間救急車は搬送できずに患者を乗せたまま停まっている。

やっと見つかっても遠方であったり、救急病院であるがために、2、3日もするとさらに遠方の病院に転院させられることも。

 

ちなみに、転院となると、施設側が病院と意思疎通をすることはほぼ不可能となる。利用者の方がどこでどんな扱いを受けているのか追えなくなっていたり、家族が病院とのやり取りで混乱していても、特養側が病院側との間に立って状況を整理するといったようなこともできない事態が頻発していた。

 

「治療の場である病院に送ることが適切な状況は当然にある。しかし、終末期に至った方にとってそれが最適であるとは思えない場合も多い。」

「入居者にとっての生活の場である特養で、もっと支えるべきではないのか?」そういった問題意識が現場では確実に強まっていたという。

 

ハピネスあだちが開設された2006年。この年の介護報酬改定で「看取り介護加算」が施行される。「何か宿命的に制度と出会った気がしてなりません」と小川氏はいう。

「どういった状況であろうと老人ホームで人が死ぬと『看取り』と言われておりましたが、多くの場合には結局事故扱いとされていました。病院で亡くなるという形でないと『まともな看取り』とは認識してもらえなかった時代でした。」

「2006年の看取り介護加算の創設で、やっと国によって『老人ホームで死んでもいいですよ』というルールが示されたのです。」

 

宿命的な制度との出会い、そして開設後の混乱のなか、職員たちで話し合いを続け、老人ホームでの看取りを支える活動を、人生を生ききる支援として「看取り援助」と呼称を決める。

「そのための技術を身に着け、制度をもっときちんと使わなければ」と決意。看取り介護加算の要件を読み込み、実践しそれを記録し振り返る中で、きちんとした看取り援助をするための体制を少しずつ整えていった。

 

(続く)

更新日:2016年02月23日


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