医療・介護から看取りを支える人たちのインタビュー ”ひと”

インタビュー“ひと”
お身内を看取った方たちの体験 - Human Inteview -

父親の脳梗塞をきっかけに、介護を経て両親のお看取りへ

Profile


松永 力業界人

10代で建設会社へ就職後、代表取締役へ就任。社長業の傍らでお父様・お母様の介護へとりくみ、 2人ともお看取りされる一方で、介護のご経験から高齢者向け訪問マッサージ会社を立ち上げる。

お看取りするきっかけ

――最初、看取りという単語を意識するきっかけになった出来事を教えていただけますか。

 

「もともと私は建設会社を経営しておりまして、ちょうど38歳のときに急遽父親が脳梗塞で倒れて、3ヶ月ちょっとで退院をしたんですね。で、自宅に戻ってリハビリを受けたりとかしていたんです。そのとき医者から訪問マッサージを紹介されました。保険適用で受けられるということで、家へ来てもらいました。

ただ、マッサージ師の先生が重度の視覚障害者で「目が不自由なので診療報酬請求書を書いたことがないんです、出来たら実費でお願いできませんか」と仰るんです。その時は父が喜んだので、保険適応は諦めました。

実は友人にも視覚障害者かつ、病院勤務のマッサージ師がいたんです。彼があるとき独立をすると言いだしたので話を聞くと、病院で緊急オペをして改善した方が半年後にまた病院に戻ってくる、そのときに状態が悪くなって戻ってくると。病院は早期退院を目指すけれども、自宅では患者さんの具合が悪くなる。それなら在宅マッサージを自分がやろうと思ったらしいんです。

その時がんばれ、という話をしたんですけど、その後すぐ病院勤務に戻ることになったと聞きまして。なんでそんな志が高かったのに諦めたのか訊いたら、同じように目が不自由なのでレセプトを作ることも難しいと。そのあたりから介護や看取りについて、いろいろ調べるようになりました。」

 

 

病気を機にコミュニケーションを取るようになった

――介護や看取りを通じて、どういった体験をされましたか。

 

父は70代後半で亡くなったんですけど、私は早くに結婚して18歳から子 供もいまして。親とはずっと離れていたんですね。厳格な人で、サラリーマン志向の父親がいやだったのであまりコミュニケーションを取ってませんでした。で も病気になってから、厳格なだけに父が弱るとギャップが激しくて。それから初めて、父と深く関わるようになったんです。

趣味で家庭菜園とか やっているような父だったんです。大きい畑を借りて、農家かってくらい。そんな折に実家へ帰るとやれ野菜だ、漬物を持って帰れだ、という会話があるわけで すよね。私が若いときに子供つれて実家帰ったら、父が車のトランク勝手にあけて、樽に漬物つけて入れたんですよ。一応はビニール袋へ入れてたようなんです が、車が走り出したら「べちゃん、べちゃん」って音がする、しかも臭い。(笑)漬物がこぼれているわけです。

その時は激怒しました。当時の 私は生意気で、苦労をせずに外車乗ってるバブリーな人間だったわけですね。だから父のありがたみがわからない。「子供にそういうものを食べさせたい」とい う思いよりも「クルマが汚れるやろ!」と怒ってしまった。父とはそういう距離があったけど、病気をやってからはリアルに農園の話をできた。父親に対する反 発を5年で埋められた気がします。」

 

 

葬儀はバタバタで・・・

――特に記憶に残っていらっしゃるエピソードはありますか

 

「実は不思議なことが父親、そして母親が亡くなったときにありまして。まずは父親が病院に入ったときです。当時もう、あんまりもたんかもねという話でした。それで病 院に仕事休んでいこうかなと、まずお風呂入ろうと思ったら、お湯が出ないんですね。家内とガスがおかしくなったんかなと話をして。で、実はそのときに父が 息を引き取る寸前だった。

そのときは虫の知らせに気付かなくて、意識があるときには父と会えていないんです。その後は姉と交代で母の介護をしていたんですが、ある日お風呂に入ったらまたお湯が出ないんですよ……!

「あ れっ!」と思って、すぐ実家へ行ったら電気がついていない。裏から入ったら母親が寝てまして。よかった何もなくてと思って。その日にいろんな話ができたん ですけど、実はその日のお昼に亡くなったんです。母親の場合はそれでお昼までに全員集合できた。不思議ですよね。僕はもともと母のところへその日行く予定 がなかったので、あの時お湯に気付かなかったら会えてなかったかもしれない。」

 

――看取りをされた後、ご葬儀はいかがでしたか。

 

「葬儀は何も親と話せてないんですね。実家が禅宗で、父親が葬儀あげたいかってことも興味があったわけじゃないです。「ごく普通」のお葬式ですよね。バタバタで迎えて。

母親のときは、どうしようかなと思いました。「私はきれいな写真で送って欲しいわ」と言われたのに、子供たちとして何もそういうことはやれなかった。父親と同じ葬儀屋さんに来てもらって、これで本当によかったのかなと思いながらも、親戚も意識しますしね。

でも本当に母親って面白い人やったんで、これでよかったんかなあってのは思いました。葬儀屋さんも姉が姉なりに、周りを意識しながら決めたと思うんですね。 母親とは「芸能人さんがするようなお葬式がいいわ」とか「あのお母ちゃんの写真とっといて」なんて話をしていてね。それも姉にはあんまり言えずにいまし て。姉にそれを言っても「そんなんどこでやってくれるのよ」って話になってね。

葬儀の話から繋がりますけど、長年こういう仕事をしていると、マッサージ師さんは患者さんが「そんなに長くないな」っていうのもわかるんです。そうするとお金は貰わないで、お話をするんです。ご家族もそれを希望されて亡くなる。そういうことが多い。

お 1人の場合は本当に悲惨です。仕事柄いろんな場面に遭遇するんですが、約束の日に行っても出なくて、管理人さんに鍵を開けてもらうと亡くなっていたことも あります。こういった方にお話を伺うと、子供さんは遠くにいても「あの息子はもう他人やから!」なんてバトルになっていたりして。

そうい う 方へどうするんですか、「資産管理もお宅でやって!なんか考えてよ」って言われたりね。「うち専門家じゃないんで」って言うんですけど、自分の死をどこで 葬儀あげて、お金をどうするのかを考えてこずに、誰にも相談できずに亡くなってしまうことも多いんじゃないでしょうか。」

 

――最後に、ご両親のお看取りを振り返っていかがでしたでしょうか。

 

「私 は建設会社のバブル崩壊を経験していて、すごい勢いで来すぎた分、バブル崩壊で時代を滑り落ちたんです。30代後半で持っていた自社ビル、資産を全部売却 しても借金が残るという時代を経験しました。そんなときに、父親の病気という経験をした。それで、高齢者のために訪問マッサージの会社を作りました。

2、 3年は建設会社と同時並行でやってたんですけど、中途半端になってはよくないのでずっと長年共にしてきた人間へ建設会社は譲って。40歳を期に新しいチャ レンジをやってみよう、と。今の会社は父が倒れたのをきっかけに始めた仕事だからこそ、続けていられると思います。」

更新日:2016年02月23日


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