看取りを知る

後悔しない看取りのために必要なこと

「看取りにつながる終末期をどう過ごすか」は、「その方の人生の最期をどういう形で締めくくるのか」ということでもあります。大切な人との日々を、大切に過ごして悔いのないものとするため、ポイントとなる視点をこちらへ整理いたしました

「治す」ことがなによりも優先されるべきなのか?

とえ終末期の高齢者であっても、持病が悪化したり骨折すると「すぐ入院してもらおう」というお話になりがちです。
しかし、病院は本来、病気やけがを治すための場所。患者さんの「治療」が目的とされる場所であり、医師や看護師もそのために働いています。

ところが、「老衰」がもし症状へつながっているのであれば「治す」というアプローチが正しいとも言い切れません。

「元気なところをどう活用して失われた機能を補うのか?」
「心身の機能低下という現実を認めた上で、生活の質を落とさないようどんな工夫ができるのか?」

こういった考え方を前提に、在宅でも受けられる医療を活用し「できないこと」とも折り合いをつけるという視点も大切です。そこから出てくる発想には、たとえば介護サービスを用意すること、手すりや家具の工夫など、医療以外の領域も多く含まれていくことになります。

逆に、典型的なトラブルには、入院中のベッドで安静期間に足腰の筋力が弱まり本格的な寝たきりの状態になってしまった……といったものや、点滴を勝手に抜かないよう身体拘束を受けていたところ認知症の初期症状が始まってしまうなど、「寿命は延びたけれど、生活の質が下がってしまう」という悲しい事態も多く発生しています。

本人の希望や意思が当たり前のように実現できるわけではない

レビや新聞でも、胃ろうや経管栄養といった延命治療の良し悪しがしばしば話題になります。こういった問題の背景には、延命治療の判断が自分ではできない中で、医師や家族が短い期間に全てを判断しなくてはいけない事情があります。
たとえば、胃ろうに至るパターンで最も多いのは脳血管障害が発生したケースです。脳血管障害のさなかで、本人は意識が混濁しており周囲は意思を確認することができません。こういった場合、医師はやむなく家族に確認することで治療方針を決定していきます。

問題は、家族は本人の希望を十分に知っているか、適切に推察できるかというところです。本人の希望や意思がわからない中では「幸せに最期を迎える」過ごし方よりも、「長く生かす」治療を選びやすくなります。
もはや誰とも会話できない、寝たきりの高齢者がチューブにつながれたまま生かされ続けた果てにひっそりと亡くなっていくという悲しい看取りは、こういう形で生み出されます。

この状況をなんとかしたいというところから出てきた考えが「アドバンス・ケア・プランニング」という概念。医療現場から始まった「これから自分で最期を決められなくなる前に、治療方針について患者さんやご家族とあらかじめ話し合うプロセス」です。

最近では「自分で決めた治療方針を尊重する」という意味で「リビング・ウィル」や「成年後見制度」「エンディングノート」といったものと絡みながら、医療に限らず資産や生活設計、そして自分が亡くなった後のお葬式やお墓まで考える包括的なプロセスと発展しています。

特に財産については、認知症などで判断ができなくなってしまうと「お金があっても自分で何も決められない」といういわゆる「缶詰があっても飢えに苦しんでいる」不幸が発生しかねません。
しかし、延命処置や財産について、親子で元気なうちから話しておくのは難しいはずです。また、そういったことを決められない、考えたくないという人のお気持ちに対するきめ細かな心遣いは、決してないがしろにしてはいけないでしょう。
いまだこれという解決策は示されていませんが、互いが信頼するケアマネージャーや看護師といった第三者の方の関わりを通じて、スムーズに事が進む場合も多く報告されています。

医療・介護の供給が細っていく未来に向けて大事になること

来的に、高齢者のみなさまが受けられる医療や介護のレベルは下がっていくと考えられています。高齢者が増える一方で、それを支える若い人口が足りなくなるからです。

そういった未来で、どうすれば幸せに生きられるでしょうか?ある研究で、「医療や介護がしっかり整った場所」と「限定的なサポートがある場所」で高齢者の日常生活を比較したところ、実は限定的なサポートしかなかった場所のほうが自立へ向かいやすいことがわかりました。
なんらかの障害が発生した方があまり長く生きることなく亡くなるという比率も限定的なサポートの場所のほうが高かったのですが、その一方で自立に戻る比率も高い。「ピンピンコロリ」が実現されやすいともいえそうです。

また、この調査では「できる限り自立を続ける覚悟」と「食べられなくなったときに自然死をうけいれる」高齢者は必ずしも死に対して悲観的ではなかったということです。
これは一つの研究調査にすぎません。しかし、今後の日本において有用な視点となる可能性を秘めているかもしれません。



大切なひとと考える『これからハンドブック』

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